12月20日。 師走エクスプレスの汽笛が騒がしいなか、ばあちゃんが旅立った。
今年の5月にじいちゃんが逝き、それから僅か7か月後のことだった。 じいちゃんを見送ったあとから、急に弱ったらしい。
自分の使命を終えた安堵感と喪失感が少なからず影響したのかと思う。
じいちゃんとばあちゃんは仲が良かった。
民謡をやるじいちゃんと三味線を弾くばあちゃん。きまって夕飯後に練習がはじまり、離れにある隠居屋からくぐもったセッションが聴こえてきた。
オレが小学3年生くらいのころ、2づつ離れた妹弟に両親をとられていた時期。じいちゃん・ばあちゃんと一緒に寝ていた。 二人は寝かしつけに代わる代わる昔話を聞かせてくれた。 二人の話は甲乙つけがたく面白く、それはどこか寓話のような不思議さがあり、そこには人生の教訓が隠れているような気がした。 結局、次から次へと話をせがんで、寝付けなかったのを憶えている。
12月22日。 葬儀当日の早朝にオレたちは福岡をたった。 次第に夜が明けていく道中は濃い霧が立ち込めていて、なかなか明るくならなかった。
葬儀はじいちゃんの時と同じ町役場の施設で執り行われた。
予定より早く到着し、駐車場で着替え、柩に横たわるばあちゃんに会った。 ばあちゃんは、ただ昼寝をしているだけ、そう思えるほど安らかな顔をしていた。 「よぃ、ばあちゃん。帰ってきたよ!」声をかけたら目を覚ましそうだった。
穏やかな最期だったのだと安心し、空を見上げると、きれいな青空がひろがっていた。 不謹慎かもしれないが、「天晴。ばあちゃん。」そっと呟いた。
7か月前に、「こんな時にしか合えんくてねぇ…」と挨拶を交わした遠縁のおじちゃん・おばちゃんと、こんなに早く再会するなんて思ってもみなかった。
葬儀が始まり、和尚の読経があり、戒名の説明があり、そしてばあちゃんの為人を語っていただいた。 和尚は最後に、「これからは天国で二人積もり積もったこと沢山お話されるでしょう。」と。
そうだったらすごく嬉しい。心から思った。
オレの横に座る従姉の旦那は、すすり泣いていた。 kacoも訃報が届いた時、それより前に具合が良くないと連絡があった時、たくさん泣いていた。もちろん当日も母に次いで泣きはらした顔だった。
kacoは、ばあちゃんのことが大好きだった。 従姉の旦那もそうらしく、一人でも度々見舞いにいっていたそうだ。
ばあちゃんのことを好きでいてくれてありがとう。感謝ってこういう気持ちだ。
ばあちゃんは小柄で痩せていた。だけど、大木のように揺るぎなく穏やかで、その止まり木で羽を休めたり、幹に寄りかかり雨をしのいだり・・・優しい気持ちにさせてくれる人だった。
ばあちゃんが息を引き取った日。12月20日。奇しくも13年前のその日、じいちゃんは病に倒れた。 そして二人とも同じ時間帯に逝った。
本当にじいちゃんとばあちゃんは仲が良かった。
だからって、そんな偶然なんの関係もないかもしれないが、でもきっとそれは二人が仲が良かったから。オレはそう思う。 空が晴れわたっているのも、季節外れの陽気も、ばあちゃんの旅立ちのため。オレはそう思うよ。
「天晴。ばあちゃん。」
ばいばい ばあちゃん
shinsuke