あれは24歳くらいだったはず。 東京での生活にも仕事にも少し慣れて、自由になる金も少しはあって、少しだけ一端になった気分でいた頃。
東京はまるで巨大な流れるプールで、将来は逆光の只中。見えないものに頓着なく、目まぐるしくループする24時間を浮遊。刹那主義を謳歌していた日々。
長期休暇の時期は、決まってkacoと色んなとこに旅行にいってた。
そんな旅行の中で出会った ある光景。それをいまだに思い出すことがある。
場所はたしか箱根だったか…。 宿はそんなにグレードの高い旅館じゃなかったが、20代半ばのオレ達には充分だった。 食事は、宴会場で他の宿泊客と一緒にとるスタイル。 夕食時。温泉でサッパリし浴衣に着替えて、会場にいくと羅列したテーブルの上に名札が置いてあり、自分たちの席を探し着席した。 卓上にはザ・旅館飯が並び、仲居さんが火を付けてまわる固形燃料の臭いが、旅情感をかきたてた。 たいして飲めないビールも雰囲気で喉に流し込み、いい気分と激しい動悸の狭間を赤黒い顔で漂っていると、ふたつ隣に20人ちょっとの団体さんがやってきた。
30代から50代くらいまでの男女入り混じるその団体さんは、皆、楽しそうに和気あいあいと笑顔だった。 場所柄、なんてこない光景だが、その光景になんだか少し違和感をおぼえた。 でも、オレの頭はアルコールですっかり鈍くなってるし、ジロジロ観るのも失礼だし、kacoと宴会の空気感を満喫していた。
しばらく経って、やはり団体さんが気になり横目に見ると、さっき感じた違和感の原因に気がついた。 団体さんも酒が入り、一層楽し気に宴会は大盛り上がりしていた。その様子だと普通だったら大音量で流れ込んでくるはずの会話や笑い声が一切聞こえてこない。
団体さんは聾唖者の方々だった。
聾唖の方と初めて会ったわけじゃ無かったが、これだけの人数が手話でやり取りしているしているのを目にするのは初めての事だった。
その頃の経験不足の青臭いオレは、障碍者の人達は、控えめでおとなしく、どこか社会に遠慮がちに生きている。そんなイメージを持っていた。
目の前の団体さんは、何度も乾杯をかさねて、よく食べよく呑み、そしてよく笑っていた。 それぞれ両の手は忙しなく動き、その動きは次々と意味を紡ぎ、それはメッセージとなって空中を飛び交っていた。
『静かなる喧騒』当時、その様子に見とれていたオレの口からこぼれたフレーズ。 その時はぴったりな表現だと思ったことを思い出した。
酔っていたせいか『静かなる喧騒』はスローモーションで、まるで映画のワンシーンのようだった。
とても美しい光景だった。
誰の目も気にせず、誰に遠慮することもなく、大騒ぎするその人達は心底楽しそうだった。
なにものにも縛られない自由がそこにある。そう思えた。
先に食べ終わったオレ達は、部屋に戻ることにした。 もう少し観ていたい思いもあったが、それはやはり失礼だと席を後にした。
団体さんの横を通りすぎるとき。屈託のない笑顔に惹かれながら、いったい何を喋っているんだろうとすごく気なった。
背にした団体さんの席から、声は聞こえない。でも止まることのない手の動きと豊かな表情は、想像するに騒々しく、大宴会はまだまだ終わりそうになかった。
美しいこと。
それは人の数だけ存在する。
オレが出会った大宴会の『静かなる喧騒』は、他人からしたら気にも留めない光景かもしれない。
それでも、美しいと感じて動いた心の真実。自分しか知らない真実。その真実はとても大切。
あなたも、あなただけの美しいこと…心の真実を大切に。
shinsuke