誰もが一度は考える、『人生の価値』とか『産まれてきた意味』とかその類の話。
大抵が中学生くらいの多感な時期に、芽生えるクエッション。 それは原因不明の熱病みたいなもんで、深夜2時の布団のなかで人知れず脳みそを沸々とさせる。
そして立派な中二病の出来上がり。
多数派は社会人になるまでに、徐々に冷めてゆきやがて完治する。 未だに拗らせてるオレ。覚めない夢。溺れるように泳いでる。
『人生の価値』『産まれてきた意味』のアンサーとして、≪生きた証をいくつ残せるか≫そんなふうに言う人がいる。
20代の頃には、納得できたその説も、今はしっくりこない。 生きるってことは、そんな小さな物差しじゃ測れない気がする。
≪いくつ残せるか≫じゃなくて、≪どれだけ感じるか≫
そのほうが素敵だ。
なにを感じるのか…喜怒哀楽の四原色をベースにそれらが絶妙に混ざり合う心模様。 日替わりで、分刻みで、毎秒で、変わりゆく感情。 温かかったり。締めつけられたり。張裂けそうだったり。痛かったり。
それで充分。
それがきっと、『人生の価値』『産まれてきた意味』だ。
shinsuke