GWの前半。 実家から、母方の祖母の訃報があり、急きょ帰省した。
10年ちかく老人介護施設に入っていた祖母。 2週間前から容態が悪くなり、看護体制が手薄になる夜は、母が連日泊まり込んでいたらしいが、、連絡をくれたその日の朝。家に戻ったところに息を引きとった知らせがあったそうだ。
母いわく、「きっと見られていたら、逝けなかったんじゃないかな。」と。
記憶にある祖母は、それそれは心配性なひとで、子供のころ遊びや泊りに行けば、やれ走るとコケるぞ・川にひとりでいくと溺れるぞ・魚の骨を喉にひっかけるとことだ・生水は飲むな・・・口をひらけば気遣いのオンパレードだった。
だから、母が「きっと見られていたら、逝けなかったんじゃないかな。」と言ったとき、あながち間違ってない気がした。
誰よりもそばで看てきた母を気遣い、最後はひとりで逝ったんじゃないかな。と。
入棺された祖母の顔はきれいに化粧されていて、安らかにみえた。 母や叔父から聞くところ、息をひきとる頃には体重が20㎏代になっていて、頬のこけ方が凄かったそうで、、あらためて納棺士という職業の有難さを知った。
そして、地元を離れて暮らしている自分と、そこで暮らし続けている家族とでは、見ているものが違い、覚悟の差を感じた。
式のなかで流れたスライドショー。
そこには若かりし頃から近年までの祖母の写真がうつしだされた。
認知症を患っていた祖母はこの10年ほど、虚無と怯えが混じったような表情がずっと張り付いていたが・・・プロジェクターから投影される写真の多くは、祖父と隣り合って写っており、その表情は、実に嬉しそうだったり、照れ臭そうだったりで、「そうそう、ばあちゃんってこんな顔やった。こんな風に笑うひとやった。」鮮明に祖母の人間味がよみがえった。
スライドショーの最後は、オレが撮った写真だった。
何年も前に、祖父から頼まれて介護施設の部屋で撮ったものだ。 その頃すでに認知症の症状があり、何事かと少し不安そうな表情で固まる祖母。
祖父が丁寧に何度も説明しながらお洒落着に着替えさせて、窓からさす明かりが柔らかなグラデーションをつくるなかで、二人は肩を並べて写った。
満面の笑顔をつくる祖父からは、祖母をおもう優しさが滲み出ていて、、おそらく、それが伝わり、祖母も幾分か和らいだ表情をしていた。
写真ていいな。そう思った。
火葬場から叔父の家に移ると、仏間に7年前に旅立った祖父の遺影がかかっており、その顔は先ほど斎場でみたスライドショーの最後にうつっていた写真と同じく、満面の笑顔だった。 その隣り。これからの祖母の定位置はそこ。
ゆるぎない安定がそこにある。そう思えて穏やかな気持ちになった。
夜も10時をまわり、帰路。
弟夫婦と乗り合わせた車内。カーラジオをつけると、ルイ・アームストロングの"What A Wonderful World"が流れだした。
Louis Armstrong - What a wonderful world
shinsuke