いきなりだが、この話の登場人物を紹介しよう。
出てくるのは、たった2人。・・・しいて言えばプラス犬一匹。 とてもシンプルだ。
まずは、小学2年生のオレ。・・・今回はあえてボクとする。
そして、ジムチョーさん。 この人物については説明が必要だと思うのできちんと語ろう。 と言っても、28年前のボクの記憶が元になるので、正確性は期待できない。。あしからず。
ジムチョーとは事務長。それは、勿論、役職を指している。 では、どこの? 村に唯一の診療所のである。
病弱だったボクは、この診療所によくよく世話になった。 看護婦さんが親戚のおばちゃんで、馴染みがあり、先生もカラッとした性格のおばさんで、行く度に「あら、しんちゃん。おかえり!」なんて気の利いたジョークで迎えてくれる居心地の良いところだった。
その先生の旦那さんがジムチョーさん。 ちなみに診療所で事務長さんを見たことは一度もない。
ジムチョーさんは、見た目、スタムダンクの安西先生と裸の大将を足して割ったような、コロッとした体型のおじいちゃんだった。
コロッとした体型のおじいちゃんこと、ジムチョーさんは、週に2,3回、愛犬のビーグルを連れて散歩をしていた。 犬の為だったのか自分の為だったのか、なかなかの距離を歩いていた。
なぜそれをボクが知っているかというと、その散歩コースが通学路とカブっていたからだ。
家から学校までの道のり。それは山を一つ越えなければならなかった。
朝はグループ登校だか、下校はそれぞれバラバラで、一人で帰ることもしばしば。まさに≪行きはよいよい帰りはこわい≫状態。
小1の中期。初めて、ジムチョーさんと会った時の第一印象は、変質者!である。
短パンにランニング一丁で、折り畳み傘を帽子に改造した奇妙なもんを被った、異様ないでたち。 (ボクの抱いた第一印象は、けっして失礼にはあたらないはずだ。)
しかし、当時のボクは非常におしゃまな子供で、【知らない人にも元気よくご挨拶】をモットーに、こんにちわ! と腰を深く折ると、なんだかその変質者 (まだこの時点では) に気に入られ、ポシェットから取り出したカリンのど飴を2粒くれた。
そして変質者は自分が何者かを語り、ボクも自己紹介して、変質者改めジムチョーさんは「これで、おいちゃんとしんすけちゃんは友達たい。」と言った。
(今になって思えば、ジムチョーさんは福岡の生まれだったのかも知れない。)
それから、ちょくちょく帰り道で会うようになり、ジムチョーさんの散歩コースの折り返し地点である峠まで一緒に歩いた。 その度に、ポシェットから、チョコレートやガム、各種飴玉を取り出して、「しんすけちゃんは良い子や。」と嬉しそうにくれるのだった。
ボクも、お菓子が貰えて嬉しかった。
でも、カリンのど飴は、、あの子供ウケしない風味とスースーする清涼感が喉に刺激的で、どうにも好きじゃなかった。
しかし、おしゃまなボクは、【出されたものは残さず食べる】をモットーに、笑顔をつくり口に放った。
さて、ここからが、話の本題である。
小学2年生のある日。一人での帰り道。 うっそうと茂る木々が、まるで緑のトンネルをつくる細道は、8歳児には、やはり心細いもんで、先を行く人がいないか?もしくは後ろから追いつく人はいないか?と願っていると、前方にジムチョーさんとビーグル犬の姿を見つけて、喜々として坂を駆け上がった。
「おぉ、しんすけちゃん。こんにちわ。」ジムチョーさんの手がポシェットに伸びるのを見て内心ニヤついていると、出てきたのはカリンのど飴だった。
残念。ハズレ…。心のうちで呟き、口の中に放った。
連れだって歩くなかで、この年の差フレンズは、一体何を喋っていたのか?・・・さっぱり覚えていない。
その日の、衝撃的な告白を除いては。
カリンのど飴のナンセンスな味を舌で転がしていると、ジムチョーさんが、「しんすけちゃん。ないしょの話なんやけどな。」と話しかけてきた。
(この内緒話が前回のブログでいうところの、どの程度にあたるのかは、今もって知る由もない。)
「おいちゃんな、むかし人間を食べたことがあるんよ。」
ボクは固まった。
歩みは止めず、横並びで進みながら、心は瞬間で固まった。
風に揺れる木々のざわめきと、ジムチョーさんの荒い呼吸が、やたらと大きく聞こえる。
長い沈黙・・・ この時、ビーグルが一鳴きでも吠えたら、ボクは堰を切ったように走り出していただろう。 だが、ビーグルは、気配を消して静かだった。
「おいちゃんが、昔、戦争にいってたときにな、なんにも食べるもんがなくて、どーしても腹がへって、戦死したなかまの太ももの肉を焼いて食べたんよ。」
(どうやら、ハンニバル・レクターや、佐川一政のそれとは理由が違うようだ。)
極限状態のなか、背に腹は代えられぬ思いでのことだったようだが、当時のボクにはハードコア過ぎて、返す言葉がなかった。 当たり前だ。
「味はね、酸っぱかったー。」らしい。。
茂る木々の生みだす翳りや、岩壁を滴る山水が、余計に不穏さを煽っていた。
峠に着くと、ジムチョーさんは、何事もなかったかように、「しんすけちゃん、それじゃバイバイ。」と来た道を戻っていった。
ボクはといえば、走った。走って走って、、走った。
振りむくと、怖いので、一心不乱に、集落をめざして駆け下りた。
ようやく、薄暗い山道を抜けて、人気を感じて、一息。
心臓の脈打ちに負けじと、ハイスピードの呼気は、スーハーッスーハーッスーハーッ と繰り返しカリンのど飴の清涼感を蘇らせて、喉が焼けそうだった。
その日を境に、ジムチョーさんとの記憶はない。 その後も、たまに帰り道で出くわしては、しばしの時間を共有し、お菓子を貰って食べた。はずだ。 だが、記憶に残っていない。
小4からサッカーを始めたボクは、帰宅の時間帯が変わり、すっかりジムチョーさんと会うことはなくなった。
なぜ、ジムチョーさんは、あんなショッキングな内緒話を打ち明けたのだろう。
次世代に戦争の悲惨さを伝える使命感からだったのか? (にしても、あのシチュエーションで話さなくったっていいじゃないか。)
信用させておいて、お菓子で餌付け(のど飴のハーブ成分で香りづけ)してから、美味しく食べるつもりだったんじゃないか・・・。 なんて、思いもよぎる程の恐怖体験だった。
昨夜。ふとこの出来事を思い出して、頭が冴え…眠気が逃げたので、布団に埋まって、スマホでこの文章を綴った。 夜更けの妙なテンションが作用して、少々しゃらくさい文章になっているが、、書いていて楽しかった。
没頭して、あの頃にタイムトラベルした。
時計の針は5時をまわろうとしていた。
shinsuke