2005年、春。 オレは東京でアシスタントをやっていた。フリーランスだった為、毎回違うフォトグラファーからお呼びがかかり、色んな媒体の仕事に携わっていた。
ある日。何かとオレを可愛がってくれていたフォトグラファーのT氏から「もしもし、ハードゲイでおなじみのヤナギタ君ですか?」「なはははーッ!ヤナギタ君パスポート持ってる?」と電話があった。 HGよりも早くハードゲイというキャラを確立していたオレは、S○NYお抱えミュージシャンのPVとジャケットの撮影でロンドンとオーストラリアに飛ぶことになった。 ロンドンから一時帰国した日は24時間経たずにオーストラリアに発つというタイトなもので、何だか出来る男風な2週間だった。
オレは憧れのロンドンに敬意をはらい、モヒカンに革ジャン、ブラックのスリムジーンズに、白い編み上げブーツと、おおよそ仕事とは思えない恰好で成田に向かった。
12時間のフライトは苦痛だった。英語オンリー(もちろん音楽や映画も)の機内…ギリギリ正気を保って、ヒースロー空港に到着。
入国審査の際。係員が、パスポートの写真と見比べて「コレ、キミ?」と聞いてきたので「イエー、ラストサムラーイ!」とかえしたら、苦笑いしていた。(イギリスは入国規定が厳しいらしく、怪しい輩は入国出来ないらしい。)
憧れの地に降りたち、MIDE IN ENGLANDであろうアスファルトを踏みしめ、天を仰ぎ・・・ 「さむーーッ!!」 オレ達の到着と時を同じく、その年最強の寒波が到来しており半端じゃなく寒かった。雹がバシバシ降っていた。
当時のロンドンはバブル期にあり日本よりも物価がかなり高かった。 もともと低予算というのも重なって、宿泊先では、かなり狭いツインにT氏と相部屋だった。
その日はオフとして、わりと豪華なディナーをとり、明日からに備えることに。
スタッフの中で一番若くぺーぺーのオレのもとに、暗黙の了解で、残り物の皿が集まってきた。 スリムジーンズが仇となり相当苦しかった。。
ホテルに戻るとT氏が、ほろ酔いで風呂を溜めだした。 オレはフィルムをまとめたりカメラを掃除したりと明日の準備をしていた。T氏はベッドでウトウトしている。 と、ドンドンドンッ!! 激しくドアを叩き、早口で何だか怒ってる声が聞こえてくる。 え、なに? 怯みながら、デタラメな英語で受け答えすると、なんとT氏が溜めていた風呂が溢れて下の階に漏れていたのだ。 オレ達は、さんざん注意を受け(半分以上理解不能)T氏はブツブツと小言を言いながら風呂に入っていき、オレはロンドンの夜を散策に出かけた。
雪の降り積もる街並みは見事としか言い様がなく、、ウットリ見とれながら知らない道を思うままに歩いた。
ピーーピーーピーピーピーーッ
狭い部屋にアラームが鳴り響き、重たい目蓋を擦りながら布団を蹴り落とす。 アラームをOffにして立ち上がると、T氏が布団に抱きつき重低音エクスプレスなイビキを掻いている。
そっか、 ロンドンにいるんだオレ…
ロンドン2日目。
2日目は明日の撮影に向けてのロケハンと撮影用の衣装を購入するというスケジュールだった。 ロビーに集合すると、お世話になる武さんという日本人のコーディネーターの方がいた。
そしてもう一人、予算がギリギリだった為、フォトグラファーとアシスタント。それにムービーの監督兼カメラマンの人。以外のスタッフは現地調達(といってもメイクさんのみ)ということで、メイクさんと落ち合う予定。
なんでもメイクさんも日本人らしいが、少々遅刻ぎみ。
(ヘイヘイ、時間にルーズな外国の風潮に染まっちゃったんかい?)
斜にかまえてロビーを見渡すと、視界に物凄いパンチのきいた女性が! それはそれは、見事なまでにゴスっとロリータないでたち。
思わず見とれていると、パチッと目が合う。 やばっ 即座に目線を逸らす。(スゲー人やなー、さすがロンドン。本場は違うね!) そっとチラ見する。 (おわ、こっちガン見しとるやん!どーしよ?) ゴスっとロリータがこちらに歩み寄ってくる。 (ぎゃー来たーっ!!)
控えめに見ても30代後半、しかも東洋人っぽい・・・ん?東洋人・・
「…あのチーム推定少女ですか?」
「・・はい。」
スタッフ一同、目をまん丸にした。
名前は忘れたが、もう随分長いことロンドンで暮らしているみたいで、なんと70歳オーバーの英国紳士と2年前に結婚して、この地に骨を埋める覚悟らしい。 愛は千差万別だ。
オレ達はロケハンと買い物の班に別れて行動した。 オレは当然ロケハン組でT氏と武さんの車で撮影場所を探してまわった。観光地じゃなく、公園や少しゲットーな住宅街、武さんの友人のフラット、音楽スタジオなど、なんてことない所ばかりまわったが、そのなんてことなさが、いちいちツボで凄く楽しかった。
武さんはいい人だった。 そして、一風独特なスメルを纏っていた。ワキガだった。
ロケハンが終わり買い物班と合流し衣装選びに付き合い、みんなで晩飯に向かった。 恒例行事の如くこの日も皿がオレのもとに集まる。 く・苦しい・・。
トイレに行ってみるがウンともスンともいわない。
そういや、ロンドンに来てウ○コ出たっけ? いや、そもそもこっち来る前いつ出たっけ? オレは非常にナイーブな性格の為、ストレスを感じたり、環境が変わると便秘になってしまうのだ。
「うそ、もう五日も出てない…。」 タイトなジーンズにねじ込むアタシという戦うバディ。
明日はいよいよ本番だ。
どうやらオレは時差に弱いらしく、食ってるそばからメチャクチャ睡魔に襲われていた。
今日も風呂はいいや。 明日の朝入ろう。
ロンドン3日目。
撮影当日。気合が入っていたのか、アラームが鳴るより早く目が覚めた。
「よし、風呂や。」
服を脱ぎシャワーの蛇口をひねる。
入ろうかと浴槽を跨いだ瞬間、6日目にして念願の便意を催した。
今だ!
オレは急いで便器に腰掛けた。
「はっぷ、はっぷ!」
全身全霊を込める。
ピキッ
「はーっぷ!!」
ズッドーン!!!
フーリガンも青ざめるような強烈なGOAL。
「いってーーッ!!」
多分、産みの苦しみはこれの何倍もあるんだろう。 女は強し。
オレはぐったりしながら、便器を覗きこむ。 そこには、見事すぎて引いてしまうほどの一振り・・・聖剣エクスカリバーが刺さっていた。 「ひゅー、ビビる~。」 一瞬、記念として写真に収めようかと思ったが、悪趣味すぎるので止めといた。
名残惜しさと一抹の不安を抱えながらレバーを回す。
ゴゴゴゴーッ …あれ?
決して折れることのないエクスカリバーが便器の中で回転している。
ゴゴゴゴーッ
…あれ?ヤバい。
≪スーサイダルゥー ≫ 便器の中から超ハーコーな叫びが聞こえる。
…ひィ助けてー!
何度流しても≪スーサイダルゥー≫なので、 「よし、とりあえず風呂に入ろう。」 隣に威風堂々と突き刺さったエクスカリバーを尻目に身体を洗った。
洗い終わって身体を拭きながら、もしかしてと淡い期待を込めてレバーを回す。
≪ノーデェッドォ≫
やっぱり駄目か。。
ドンドンドン。 扉をたたく音がする。
「ヤナギタ君、おしっこ漏れそうなんやけど。」
ピーピーピーピーーピーー…
あ、アラームが・・・
・・まずい… T氏のお目覚めだ!
これぞまさしく、文字どおり 「シット!」 ・・・・・・言ってる場合かっ!!
どーする?どーすんのよオレ??
手元に選択肢が握られてるはずもなく、頭がのぼせた様にボーっとする。
ドォンドォンドォン、
「ちぉょょっとぉヤァナァギィタァくぅんはぁよぅしぃてぇやぁー。」
朝一、想定外のアクシデントに見舞われたオレの脳みそはバーストを起こし、ノックする音やT氏の声がスローで聞こえてくる。
ドォォォンドォォォン
「ヤァァァナァァギィィタァァーくぅぅーん」
(いっそこのまま時間よ止まれ!)
‐人間は窮地に追い込まれると何をしでかすか解らない 使い古されたベタなフレーズだがこいつは真実だぜ‐
オレは手にトイレットペーパーを幾重にも巻きつけて、便器の中に突っ込んだ。 躊躇いは微塵もなかった。
しかし、この決死の突撃をもってしてもエクスカリバーは微動だにしない。
ドォォォーンドォォォーン
「ヤァァァァナァァァギィィィタァァァ・・・」
(わかった、わかったよオレの負けだ・・完敗だよ。)
オレの心は折れた。
ガチャ
「何してたんヤナギタ君?漏れるか思ったでホンマ。」
「え・・っと、おはようございます。」
意を決して篭城を解き、この呪われし城をT氏に明け渡す。
T氏はブツブツと冗談めいた悪態をつきながら中へと足を踏み入れる。
「・・・ん?え?…ちょ、ちょっとヤナギタくーん、何これーッ!!」
「いや、違うんです。あの…その・・」
「おぇ・・おぇーッ!」
可哀相なT氏・・寝起きでゴリゴリにハードなスカトロプレーは誰だって嗚咽が走る。
憧れのロンドン、撮影当日。地獄絵図。。
オレはとっさに仕事用のウエストバッグからボールペンを取り出しサイドテ-ブルの上に置かれたメモ用紙に 『HELP ME』と書き、その下に↓と矢印を足してテープで便器の貯水タンクに貼り付けた。
「ね!これで大丈夫!!」
「・・・。」
‐人間は窮地に追い込まれると何をしでかすか解らない 使い古されたベタなフレーズだがこいつは真実だぜ‐
この日、オレは一日中ウ○コマンという安直かつ最悪なあだ名で呼ばれたことは言うまでもなく…。 ムービーのカメラマン兼監督のミッキーさん(なんでもPUFFYのヒットの影にこの人在り。という偉い人らしい)は「ヤナギタ君、HELP MEって…君サイコー!!」と何度も大爆笑していた。
撮影は、雹が降ったり、ロケバスが居眠り運転の車にぶつけられたり(マジでびびった)と色々あったが、何とか無事に終わった。
皆は明日PVの撮影が残っていたが、T氏とオレは次のオーストラリアロケの為、帰国するので今日がチーム推定少女として最後のディナーとなった。
オレは仕事が終わった開放感と、便秘が解消された開放感からガッツリ喰って、ガッツリ飲んだ。
帰りのタクシーの中で、ロンドン狂のミッキーさんが「ロンドンのタクシーは世界一なんだよ。」とか「ヤナギタ君、一緒にゲイの集まるクラブに行こうよ。」とか「君サイコー、日本に帰っても是非遊びたいねぇ!」とか何とかずっと喋っていた。
ホテルに着き、みんなとロビーでお別れのハグをして部屋に戻り荷造りを始めた。 トイレを覗くと、エクスカリバーは跡形も無かった。選ばれし者しか抜くことの出来ない伝説の剣・・(ありがとう掃除のおばちゃん。明日チップ余計に置いとこう。)
安心したのもつかの間、「あれ?」「無い!」 常に肌身離さず身に着けてたウエストバッグが無い!! 中には仕事道具の他にパスポートや帰りのチケットが入っていた。
「…マジかよ・・」
「どしたん?ヤナギタ君」
「ウエストバッグが無いんです。どっかに忘れてきたかも…」
「マジで?」
隅々まで部屋を探したが見当たらず、どこまであったかを思い出そうと記憶を遡ってみた。
・・・ありがとう掃除のおばちゃん・・・お別れのハグ・・・ゲイ・・・ロンドンのタクシーは世界一・・・
「タクシー!」
オレとT 氏はフロントにデタラメな英語と身振り手振りで事情を伝え、タクシー会社に連絡してもらうことにした。
(えらいことになってしまった。これで見つからんかったら、しばらく日本帰れんぞ。てかT氏や次の撮影クルーに多大な迷惑をかけてしまう…)
軽く涙目で外を眺めると、吹雪の中、一台のタクシーがホテルの前で止まった。
「あーーッ、あれ!!」
降りてきた運転手の手にはオレのウエストバッグが握られていた。 オレは急いで駆け寄りバッグを受け取って、何度も礼を伝えた。T氏はありったけの小銭を「ホンマサンキュー」と連呼しながら渡していた。 ロンドンのタクシーは世界一だ。 間違いない。
ロンドン4日目。
早朝。T氏とオレはヒースロー空港へと向かった。
空港に着くと搭乗手続きを済ませ、コテコテのイングリッシュブレックファーストを食べて胃もたれ、お土産コーナーをふらつき、逸れ、時間ギリギリに再会。
(まったく、最後の最後までテンヤワンヤや。。)
飛行機が飛び立ち、小さくなる街並みを見下ろしながら、思いだし笑いがこみ上げる。
「ふふふ…ゴホゴホゴホッ!」
「ちょっとヤナギタ君、風邪と違うん?うつさんといてや。」
「大丈夫っス。ゴホゴホゴホッ」
どうやら寒波にやられ風邪をひきかけてるようだ。
機体が安定すると、丸々空席の列に移動して、キャビンアテンダントのお姉さんに風邪薬を頼んだ。しばらくすると、お姉さんが戻ってきて 、
「キキノヤサシイ ニホンサント、スゴクキク イングランドサント、ドチラガ オコノミカシラ?シックボーイ。」
みたいなことを聞かれたので、
「モチロン イングランドサンノ ハードコア ナ ヤツヲ タノムヨ レディ!!」
的なかえしをして、イングランド産の風邪薬とボルビックの2ℓボトルを貰った。
薬を飲んで20分程経った頃。 いきなり視界がぼやけてきて、身体の力が抜け、聞いていた音楽が鮮明に立体的に聞こえだした。
(さすが英国産はキくねぇ。)
気がつくと、オレは、乗り合わせた皆より更に高いところを飛んでいた。 イヤフォンからは、UNDER WORLDの『Born Slippy』が爆音で流れてる。
…武さんお世話になりました…ゴスロリなメイクさん末永くお幸せに…ロケバスの運転手は確かサムって名前だったような…それからレントンにスパッド、シックボーイ(ん?それはオレだっけ?) ベグビー…また会う日まで健康で健闘を・・・
意識が大気圏に突入し、オレは宇宙へと旅立つ前に下界を見下ろし呟く…
「LONDON HARD-CORE REST IN PEACE・・・・。」
Underworld 『Born Slippy』
shinsuke