先週末。妹の結婚式に参列するため、宮崎へ帰郷してきました。
挙式・披露宴ともに、優しさに溢れた素敵なものでした。
そんな心温かな空間、、スナップ撮影を頼まれたオレは、右へ左へ 汗だくで駆け回っていました。 親族なのに 笑
通常。披露宴が終わると、参列者はそれぞれ帰路につき、、新郎新婦と友人は、その後、2次会・・・というのが、一般的な流れだと思います。
ですが、うちの地元では、それプラスで 家に帰ったら、そこで、親族・親戚さらに ご近所さんが参加で、主役のいない宴会が催されます。
とうぜん 当日は、母親も祖母も家を空けるので、近所のおばちゃんや、隣家の幼なじみが、赤飯を炊いたりテーブルをセッティングしたりと支度をしてくれて、、夕方。式場からマイクロバスでみんなが帰ってきたら、宴会スタート。
幼いときから結婚式といえば、このスタイルだったので、これが普通だと思っていましたが、この歳になって こういうのはレアなケースだと理解しました。
記憶のなかの、おじちゃん・おばちゃん達は、とてもパワフルで、「若いもんには負けん!」 とばかりに、大いに飲み大いに騒ぎ が、夜通し続き、うるさくて眠れなかったのを思い出します。
今回も、もちろんその覚悟でしたが、、ドクターストップで酒を断ったおじちゃんが2,3人いたり、寄る年波にはなんとやら…昔ほどムチャな飲み方をするような人はいませんでした。
結果、21時過ぎには お開きとなりました。 (まぁ、それでも家での宴会も17時から始めたし、その前に披露宴でも飲んでるし、帰りのバスの中でも飲んでたらしいし…まったくタフな人達です。)
そんな、おじさん・おばさん達と酒を酌み交わしながら、近況の報告や昔話なんかをしていると、胸の奥が じんわり と温かくなりました。
オレを赤ん坊の頃から知る人達ばかりで、オレもまた物心ついた時から知ってる人達。
幼いころから、親が呼ぶ愛称で 自分も、おじさん・おばさん達のことを呼んでいて、それは今に至ってもかわらずで・・・その変わらない関係性に、自分のルーツがここにあることを感じます。
また、近所の4つ5つ下の幼なじみと、酒を飲みながら世間話をしたり、そのコの子供がオレの膝に座っている状況に、感慨深く思ったりしました。
この土地との…人との…結びつきに、自己肯定を感じて、感謝とかセンチメンタルな想いとか…色々な感情で、心が満たされました。
翌朝。 永久の心象スケッチであり、現実にひろがる原風景のなかを、ひとりで散歩をしていると、昨夜までの様々な結びつきで敏感になっている感情が、、小鳥のさえずりだったり、枯葉を踏みしめる音だったりに刺激されて、とめどなく溢れだしてきて・・・身体の輪郭をぼかしてゆき、やがて空間と自分との境がなくなる感覚に包まれました。
とても心地よい体験でした。
きっと、こういった結婚式のスタイルは、その昔、それぞれの家々で祝言をあげていた名残りだと思います。 田舎という狭いコミュニティーで、お披露目をするというのは、今後の生活に関わる大切な行事だったのでしょう。
しかし、それも 時代の移り変わりとともに、変化してゆく定めにあります。
事実、やらない家庭も増えているようです。 大変なのでそれも、解ります。
何十年か後には、この集落でも、そんな風習があったことすら知らない世代にうつり変わっているかもしれません。
仕方のないことです。
ただ 言えるのは、自分は、この風習のある土地で生まれ育ち、、それが未だに執り行われる時代に生きていて…幸せだということです。
たくさんの人と結ばれていることを再確認して、それによって自分の心が開かれていく実感。
ほんとうに幸せです。
shinsuke