中学三年の時、オレはなりゆきで生活委員会の委員長だった。
うちの学校は代々、男はボウズ。女はワカメちゃんカットという古風な校則で、(もっともその頃はどこもそんなカンジだった)入学とともに頭髪の自由は奪われた。
当然、それに不満をもつ生徒が大半。それは時流に沿って高まり、ついにはオレ達の代で改革の運びとなった。
そんな一大事に生活委員長だった為、旗振り役として、ルールの取り纏めや、全校集会でのプレゼンなど、それなりに一役買った。
未成年の主張は大きなうねりとなって、見事にレボリューションは成った。
同時に、休日の学ヘル着用不要という確約も取り付けた。
今に想えばなかなかのやり手だ。
フリーダムを手にした少年少女は、ニキビを紅潮させながら歓喜し、規定の範囲ギリギリまで髪を伸ばした。
女子は選択の幅が広がったことで、2割増しで可愛くなった。気がする。
一方、男どもは、オシャレのオの字も知らない手探り状態。
気が付けば教室は、吉田栄作だらけ。
・・・いや、よく言い過ぎた。
眉にかからないようにパックリとセンター分けで、耳にかからないようにサイドをキッチリ刈りこんだ様は、まるでキノコか、亀の頭。
もう時効だ。ハッキリ言おう。
あれはデトロイト・メタル・シティーよろしく公然猥褻カットだ。
体育の時間に逆光に立つ男子生徒。そのシルエットの卑猥さは言うまでもない。
自分のことを棚に上げてしゃあしゃあと! そう思った方もいるだろうが、、オレはと言えば、元来のへそ曲がりに加えて甲本ヒロトへのリスペクトから、ボウズを貫いていた。
おそらくあの頃、【心の旅】を熱唱していなかったのはオレだけだった。
そんな思い出のせいで、センターパートに良いイメージがなく、ずっと避けてきた。
様々な髪型遍歴のなか、長髪への過程で不本意ながらアンジョンファンみたいになることはあっても、意図することは一切なかった。
去年の春。ステイホーム中にノリで息子に髪を切ってもらい、それを機に6年続けていたボウズをやめた。
それから、今日まで、ずっと自分で髪を切っている。
基本バリカンとすきばさみを使い、風呂場でフルチンで、小さな鏡を持ち込み、後ろは基本ノールック。仕上がりが不安な時は合わせ鏡で、片手に鏡、もう一方でバリカンを駆使して刈っている。
勿論、餅は餅屋だが、なかなかどうして案外悪くない。
サイドと襟足を短く刈り込み、後頭部はなんとなくグラデーションをつけて、前髪は耳が隠れる長さ。
それを6・4かセンターパートで分けている。
あんなに嫌だったセンター分けも、年相応なのか、意外としっくりくるし、自分的には新鮮さもある。
こういう、ささやかな心身の変化が、刹那の長旅を歩く気力になるんだと思った。
人生どうなるかわからない。
一念貫くのは美しいが、都度の変化を楽しめる人生は幸せである。そう思った。
吉田栄作 - 心の旅
shinsuke
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